【三方石観世音】お手足堂へ行ってきた!
「手のかたち手のちから」展
約350点の手足形等の奉納品から、三方石観世音の御手足形の歴史について紹介し、地域内外に深く根付いていた信仰を紐解く展覧会です。
主に三方石観世音に奉納された手形・足形・人形等の木の切板や木製の腕や足が展示されていて、web掲載はNGでしたが、撮影OKという観覧者にとっては嬉しい環境でした。
デフォルメされた手足から、かなりリアルなものまであり、造り手のこだわりを強く感じました。
観覧後は、やはり現地でも見なくては!ということで、三方石観世音まで行ってまいりました。
コンテンツ
三方石観世音とは?
今よりおよそ1200年前、諸国を行脚していた弘法大師空海がこの地に訪れ、大きな不動岩(大花崗岩)に一夜のうちに観音菩薩を彫りましたが、夜明けを告げる鶏の鳴き声を聞き、わずかに右手首から先を彫り残して下山したと伝えられています。
この不動岩に彫られた観音菩薩が本尊であり、別名「片手観音」とも言われ、手足の不自由な方や諸病をかかえている方にご利益があると伝えられています。
ちなみに本尊は秘仏であり、33年に1度ご開帳が行われ、前回のご開帳が1993年10月とのこと。
祈りの造形「お手足」
「お手足」とは、手足の病や悩みをもつ人々が奉納した木製の手足などをかたどったもののこと。
手足の病や悩みをもつ人々が三方石観世音に祈願し「お手足」を持ち帰り、朝夕に「南無大慈大悲石観世音菩薩」と唱えながら患部をさすって祈ります。
そして、快癒したら新しい御手足型とともに借受けた御手足型を返納します。
現在のお手足堂にある「お手足」は人々が思いを込めて祈り撫でたものが奉納されているのです。
お手足堂に奉納されたのは約6万点!
本堂を背に左手にあるお堂こそが「お手足堂」。
遠目でもたくさんのお手足が奉納されているのが見えます。
正面に向かうとなかなかの迫力です。
現在のお手足堂に奉納されているお手足は約6万点!
現在、確認されているだけで、江戸時代(文政9年~)から明治時代にかけてのお手足が奉納されています。
近隣街道地域のほか、遠隔地からも奉納?
奉納されたお手足をみると、福井県三方地方をはじめ、若狭町、小浜市、おおい町、舞鶴市方面からの奉納者が特に多かったそうです。
「手のかたち手のちから」展で紹介されていた奉納者の分布によると、北国街道、西近江路、鯖街道、丹後街道が通る土地の人々がお手足を奉納していたようです。
展覧会で展示されていたお手足の中には、長浜市余呉町に住む人の奉納も見られました。
その一方で、東京都や静岡県、徳島県からなど遠隔地からの奉納も確認されていて、その信仰の幅広さを感じます。
お手足の祈りはこれからも
「お手足」をいざ、目の前にすると、民間信仰をヒシヒシと伝わってきます。
製作者のこだわりに、奉納した人の思い。
そして、威圧感すら感じるほどの数の多さ。
三方岩観世音のお手足堂へいくと最近奉納されたものもあり、自分もお手足を持ち帰ることもできます。
これらのお手足は、過去のことではなく、現在も続く民間の「祈りのかたち」なのです。
様々な習俗が薄れていく現代において、このような「祈り」が続いていることに驚きと感動を感じました。