【永源寺】曝涼へいってきた!
永源寺とは
※山門(享和二年(1802)完工)
南北朝時代の康安元年(1361)に、近江守護職佐々木六角氏頼が、寂室元光に帰依し、領内の土地を寄進して伽藍が創建されました。
※山中には五十六坊の末庵を有したとされています。
しかし明応(1492)永禄(1563)と続く戦乱によって、永源寺も兵火にかかり、伽藍や山内の寺院は全て焼け落ち、以後衰退していきました。
その後、水尾天皇をはじめ、東福門院(徳川和子)や彦根藩(井伊家)の帰依をうけて永源寺の伽藍は再興されました。
そして明治時代になり、はじめ臨済宗東福寺派に属しましたが、後に永源寺派として独立しました。
山門をくぐって少し歩くと、大きなヨシ葺き屋根の方丈。
その厚みに圧倒されます。
こちらの方丈には、秘仏ご本尊「世継観世音菩薩」が安置されています。
※御開帳はおよそ四半世紀に一度とのこと。
近江守護職佐々木氏頼公の子、満高公が跡取りに恵まれず、この観音さんに毎夜一心に祈願したところ、夢にお告げがあり、やがて世継をお授かりました。
この事が伝わると、だれが言うともなく「世継観世音(よつぎかんぜおん)」と呼び讃えられるようになり、一心に念ずれば善き跡継ぎに恵まれ、子孫は安楽、会社は繁栄するとして信仰されています。
初夏といえば寺宝が特別公開される「曝涼」!
今回、多くの書画・輪蔵が特別公開されたのは、曝涼が行われるからです。
曝涼(ばくりょう)とは「虫干し」のことで、書物などに風を通して、湿り気やカビ,虫の害を防ぐために行われます。
日本では古くから行われていて、本来6~7月の梅雨明けの天気のよい日に行います。
方丈では、十六羅漢図の掛け軸がズラリ。
久しぶりに絵画をみると、何か描きたいなとウズウズします。
中にはこんな可愛らしいものまで。とてもゆるい。
間近でみられる輪蔵
経堂におさめられた輪蔵(りんぞう)。
輪蔵とは、経典を収納するための回転式の書架のこと。
そうです、これは回るものです!
経架を六角にし、中央下部に機軸をつけて、自由に回転できるようにし、六角の各面に扉をつけ、経典の取り出し、閲覧しやすいようになっています。
のちに、回転させるだけで経典をよむのと同じ利益が得られると信じられるようになりました。
チベット土産でいただいた手回しマニコロの巨大版、日本版ですね。
組物も間近でみることができます。
いつも寺院建築をみるときは離れたところからみている組物を、これだけ近くからじっくりみることができるのは、興奮します。
工場の複雑怪奇な配管をみたときのワクワクに似たカッコ良さがあります!
もちろん、組物の方が古いですが。
輪蔵の下部に描かれた天部も、色あせているものの、残存する宝冠が美しい。
輪蔵だけで1時間は見ていられるくらい、惹きつけてやまないものがあるように感じました。
禅語が書かれたしおりがありました。
手帳に挟むと、ふとしたときに自分の心が整いそうな。
悩んだとき、がむしゃらで何かを忘れてしまっているとき、思い出させてくれそうですね。
臨済宗永源寺派 大本山 永源寺 情報