いとうせいこう氏とのトークイベントを振り返る
2023年3月19日、いとうせいこうさんの聞き役を務めさせていただきました。
聞き役でありながら、スタートからいとうさんの「その場その場のライブを楽しみたい」というラッパーらしいお言葉通り、ライブ感あるものとして進みました。
トーク前半は、いとうさんの推し仏について熱く語っていただき、最後に文化を伝えていくことをお聞きしようと思っていたところが、「まず観音ガールってなに?!」と私の深掘りから始まり、聞き役というワキのはずがたくさんお話を引き出していただきました。
そのまま最後に話していただこうと思っていた湖北の観音文化の魅力、文化継承について一気に話してくださり、会場も真剣な空気に包まれました。
内容は、どれも湖北の方々に、そして湖北が好きな方々全員に聞いていただきたいものでした。
コンテンツ
当たり前のことが、当たり前ではなくなってきている
「日本のどこにでもあった当たり前の営みが、どんどんなくなってきている中で、ひょっとしたらそこ(湖北)でしかされていないかもしれない。
地元の人を介在して守っていることが大事なことで、美術館を守ってるんじゃないんだっていうことが、圧倒的に違う素晴らしいところ。」
地元の人が仏像を守っているというスタイルは地方では他にもありながら、過疎化、高齢化に伴い、近くの寺に入られたり、公開を控えるようになってきています。
まさに当たり前にあった景色が失われつつあり、日本のどこにでもあった「当たり前」「日常」が続いていくことは、簡単なことではなく、それこそ「当たり前」ではないです。
その中で、葛藤を抱えつつも営んでいる地域のひとつが湖北。
湖北の人々は、今あるもの、ことを大切にしています。
今あるもの、ことには、昔から続いている当たり前のこともあります。
湖北には、私たちがどこかの時代に置いてきてしまった、忘れてしまった「当たり前」のことが続いており、そこにはとても大事なものがあると思います。
それを認識し、大切にしていかなくてはいけません。
「長浜Style」
いとうさんは、村人が自ら維持管理をするシステム、そしてそれを取り巻く営みなどの文化を 「長浜Style」と称し、お話を続けました。
地元の方々が拝観予約を受け付け、村堂の扉を開け、自分たちの言葉で仏像を紹介する。
時にはお節介で、ほかの村堂や景色のいいところを紹介したり、連れて行ってくれることもあれば「ようしらんけど」と言いながらも地元で聞いてきた伝承を話す。
湖北ではしばしば「戦国時代、この辺りは焼かれ、川は血に染まり…」とまるで、その当時を見てきたかのように伝承を物語る村人がいます。
それは歴史が途絶えず、戦国時代から現代まで続いていることを意味します。
その村では、少なくともその村人の中では、現代という点を生きているのではなく、戦国時代から続く流れの中にいます。
また、村人と苦楽をともにしてきた歴史は、あの村堂だからなおさら納得するところでもあります。
伝承は、教育のように教えられて学ぶものではなく、誰かの姿をみて、誰かの言葉を聞いていて、自分も世話方の歳になった時に、同じことをしていくうちに自然とそういう気持ちが芽生えていくものなのです。
非当事者だからできること
そんな「長浜Style」も過疎化、高齢化が差し迫り、各地で危機感を募らせています。
何かしたいけれど、当事者ではない人にできることはあるのか。
「まず、当事者ではない私たちは、拝みにいくしかない。」
足を運んで、地元では気がつけない魅力を、「長浜Style」の素晴らしさを地元の方に伝えること。
そして共に仏像を拝むという時間を共有すること。
「我々は非当事者だけど、だからこそ言えること、できることがある。」
「当事者であれ非当事者であれ、その歴史文化に向き合い、語り合うことが大事。」
当事者といっても、本当の当事者は戦国時代で生きた人たち。
ある意味村人も非当事者でもあるとし、「うちのおじいさんから聞いたんやけど」から始まる話は、非当事者ができることであり、「そのときこうだったんじゃないかと思うわ」と自分事で話すことが重要である。
同様に、村人から聞いた話を私たちが自分たちの言葉で「〜さんから聞いた話なんですけど、〜な気持ちだったのかねぇ」と、友人に話したりすることも伝承ではないかと。
また『想像ラジオ』や被災地での活動を通した、当事者と非当事者の葛藤を、いとうさんご自身も感じられたそうです。
その中で「被災学を始めようとしている」との話題がありました。
後日リサーチすると下記のリンクに辿り着きました。
非当事者が、どのように向き合い、語るのか書かれていましたので、ぜひこちらもお読みください。
★朝日新聞DIALOG 2021年3月10日★
「10年は区切りなのか 被災地で聞き、伝える 何度でも作家・クリエーター いとうせいこうさん」
また、アウシュヴィッツで出会ったガイドを例に挙げて「一人称、私事で出来事を話す」ことを以下のように紹介されました。
現地ガイドは、アウシュヴィッツで起こったことを、体験していなくとも「私」という言葉を使って、自分事として話し、伝えていくようにしていたとのこと。
アウシュヴィッツでの出来事を、体験していても、体験していなくても、私事として語り、訪れた人たちとともに考えていくことが重要であるということでした。
湖北に当てはめると、地元だけでなく、そうではない人も、自分事にして湖北の歴史文化と向き合い、語り合うことが大切であるということ。
振り返って
湖北の観音文化の魅力を深いところまで存分に語っていただきました。
そして、当事者ではない私たちがもどかしく感じていることを、被災地での関わりを元にお話しくださり、大変励まされました。
私自身、湖北出身でもなく、村人でもありません。
だから私が湖北の観音文化を継ぐ人になれないだろうと思っていました。
しかしコロナ禍で毎年当たり前に行っていた村堂での大切な行事は、悉く中止となり、湖北の日常が大きく変わってしまいました。
そんな激変した日常が当たり前となろうとしている現状に、当事者ではない私にできることは、地元の方々と話して励ますことくらいで、自分の無力さを感じていました。
その中でもできることをするほかなく、私は湖北で当たり前に行われていた行事やそこに暮らす人々のことを、様々な場で、たくさんの人に話さなくてはと思い、この2,3年は今までの講演会とは少し違った内容の話をしてきました。
それを重ねるうちに、ひょっとしたら自分も湖北の観音文化を営んではいないけど、大事にしたい「湖北の観音文化のこころ」を受け継いでいるのかもしれない。
それなら私の知る湖北の観音文化を伝え、村の外に同じ「湖北の観音文化のこころ」をもつ人を増やしたいと思うようになりました。
市外、県外にも、湖北の観音文化を知る人たちがたくさんいて、中には私よりももっとご存じの方もいらっしゃるでしょう。
そんな方々も湖北のことを伝えてくださる伝承者と言えるはずです。
そんな人をもっと増やす、湖北だけでなく色んな地域の文化を大事に思い、語る人が増えたら、国内の地域文化も明るい方向に進むのではないでしょうか。
いとうさんは最後に「湖北も含めこのような文化が、どのようにして残っていくのかを、もっと議論する必要がある」と指摘されました。
文化の継承、存続は、答えのない問いですが、だからこそどんな立場であれ一人一人が自分ごととして考えることが大切で、そうしてくださる人が増えると、気が付かなかった方々も考えるようになり、良き循環が生まれると思います。