歴史の延長線上に生きる私たち

 

歴史とはなにか。
一般的定義を確認すると

過去の人間生活に起こった事象の変遷・発展の経過。またそのある観点から秩序づけられた記述。

『日本国語大辞典』より

とある。

 

「経過」とあるように、歴史は過去の一点を示しているわけではないです。

ただ物語るときに、「昔、合戦があった」というように過去の出来事を、それも1点だけを頭に浮かべてしまいがちですが、本来は過去の出来事の延長線上の現在に、私たちは立っているに過ぎないのです。

ですから、昨日も歴史であり、3時間前も歴史になると私は捉え、名は残らなくても、その時代を構成する人の1人だと思っています。

 

本を通じてそのことを教えてくれたのは、作家の司馬遼太郎さんでした。

もし「未来」という町角で、私が君たちを呼びとめることができたら、どんなにいいだろう。
「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている21世紀とは、どんな世の中でしょう」
そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。

司馬遼太郎『21世紀に生きる君たちへ』より

果たして自分は目の前に広がる景色を、見ることができない人歴史上の人たちに、どう説明するだろうか。

命懸けで世の中を変えてきた、生き抜いてきた人たちがいたから、自分は今、立っている。

そう思うと、自分の手が届く範囲くらいは、何かできればと思います。

 

大きなことを成し遂げることが目的ではありません。

本当に必要だと思うことを形にするために、まずは小さなことが大切であると思います。

大きな事象が起こるには、小さな動きや感情が積み重なって大きな動きが起こります。

 

個人的には、多くの人が見過ごす小さな動きこそ、人間らしさと時代性をみせる面白いところだと思っています。

人々が取りこぼしているようなこと、見過ごしてしまったことに目をむけ、それを面白い、大事にしたいと言い続け、「そういえば」と1人でも多くの人が振り向いてくれたらと思うのです。

そして本当に必要なことを例えフィールドは違えども、一緒に進めて大きな影響を与えられたらと思います。