元箱根の石仏群

東京滞在時に時間に余裕ができたので、両親と元箱根の石仏群(磨崖仏)へ。

関東生まれ関東育ちで箱根には何度も行ったことがありながら、その存在を知らず、また知ってもなかなか行く機会がつくれず。

行ってみてわかったが、駅伝で通る道の両側に元箱根の石仏群はあった。

元箱根石仏群は溶岩から彫られた磨崖仏や溶岩を切り出して作られた石造物(宝篋印塔など)で、鎌倉時代終わりから室町時代前期にかけて制作され、国の重要文化財に指定されており、また周辺も国の史跡に指定されている。

そのため、道は舗装されていないものの、手入れが行き届いていて歩きやすく、30分ほどで見られた。

 

●俗称 六道地蔵

想像していたよりもずっと大きく圧倒された。

大きな岩盤に彫られた高さ3.5mの地蔵菩薩坐像で、銘文から正安2年(1300)の造像。

体はドンっと存在感あるが髪の生え際の線もあり、全体的に細やか。

台座も花びらを刻んでいる。

お顔は岩から穏やかな微笑みを携えて現れたようで美しい。

石、岩というものは触れるとひんやりと冷たく(陽に照らされ熱々のこともあるが)、神々が降臨する磐座もどことなく人を寄せ付けぬ雰囲気をもっているが、仏となると不思議と温かいものを感じる。

最後にふと目に入った錫杖をもつ手がクリームパンのようにムチムチ、いやモチモチで可愛らしい。

 

●俗称 応長地蔵

高さ124センチメートルの安山岩に地蔵菩薩が彫られたもので、2つの龕があり、大きい龕に1体、小さい龕に2体の地蔵菩薩が彫られており、応長元年(1311)の造像願文も彫られている。

先ほどの俗称 六道地蔵よりも小さいが、刻まれている地蔵菩薩の表情は厳しい。

こちらに微笑みかけているのではなく、この地の自然の険しさ、世の中の険しさ、そしてそこにいる人々のことをみるまなざしは何かに耐えているようにみえる。

 

●俗称 二十五菩薩

さらに進むとまたも大きな岩が不規則に切り出され、その切り口に数多の仏が刻まれているようであった。

国道1号線をはさんで西側に23体、東側に3体がそれぞれ大きな岩盤に彫られた仏像(磨崖仏)群で、銘文より永仁元年(1293)から造られ始めたものと考えられているそうだ。

地蔵菩薩立像が24体、阿弥陀如来立像1体、供養菩薩立像1体とのことだが、全てを確認できなかった。

スタイルも良く眉がきゅっとしたとっても凛々しい地蔵菩薩にお会いした。

穏やかな表情に、柔らかい撫で肩、胸元は筋肉質で、頼りがいのあるお地蔵さんである。

 

 

そんな凛々しい地蔵菩薩の側に体ごと横を向いている仏さんがいらっしゃるので、恐らくこの方が供養菩薩ではないだろうか。

 

どの石仏も交通量が多い国道1号線近くにありながら、なんともいえぬ寂しさ、物悲しさが漂う場であった。

晴天のもと散策をしたが、それでも漂う空気の温度差に「自分はいま、別世、異界にいるのだ」と感じた。

 

なぜ、この辺り一帯がこのような地蔵信仰の霊地となったのかというと、当時ここは箱根越えの道として使われた「湯坂道」の最高地点に近く、歌人・飛鳥井雅有がこの地を通過する時に「この地に地獄がある」と記したように、険しい地形や荒涼とした風景などから「地獄」とみなされ、恐れられていたようです。
そのため、「地獄に落ちた人々を救ってくれるのは地蔵菩薩」という地蔵信仰が全国へ広がる中で、「地獄」と恐れられたこの地もまた、旅人をなぐさめるため、地蔵信仰の霊地となっていったと考えられます。

箱根町HP「石仏群の成立」より

https://www.town.hakone.kanagawa.jp/www/contents/1100000001851/index.html#sub1

 

かつてここを往来する人々がこの地を地獄とみたのもわからないでもない。

 

 

風雨にさらされてきたはずなのに、今なおその微笑み、まなざしを拝めるとは。

どうしたって摩耗したり、傷んだりするなかで、何百年、ときには千年を超える時を過ごしてきた仏像と出会えることも奇跡なのだ。

 

元箱根の石仏群(磨崖仏)について詳しくは、箱根町HP「箱根の石仏群について」をご参考ください。

https://www.town.hakone.kanagawa.jp/www/contents/1100000001496/index.html