四国秘仏旅-香川県-
「四国秘仏旅-高知編-」の翌日は香川県、讃岐国へ。
讃岐国といえば、弘法大師空海さん。
空海さんは、宝亀5年(774年)、多度郡方田郷屏風浦(現・善通寺市)で生まれた。
まさに聖地なのだが、空海さんの足跡辿りはまたの機会とし、讃岐国で行きたい!と思うところを思うがままに巡った。
<香川県>
善通寺→ 金刀比羅宮→屋島寺→屋嶋城
コンテンツ
善通寺
弘法大師空海の御誕生所である善通寺は、京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡の一つであった。
唐より帰朝された弘法大師空海が、師である恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して、五岳山 善通寺を建立した。
弘仁4年(813)6月15日に落慶し、父の諱「善通(よしみち)」をとって「善通寺」と名付けたとされる。
境内は「伽藍」と称される東院と「誕生院」と称される西院の東西二院。
東院は創建時以来の寺域であり、西院は弘法大師空海が誕生された佐伯家の邸宅跡にあたる。
西院仁王門の背後にそびえる五岳山がまたいい。
拝観券の代わりに使い捨てリストバンドをいただいてフェス気分に。
弘法大師ご生誕1250年・祈りのフェス開幕。
秘仏・瞬目大師
空海入唐の折、別れを嘆く母・玉寄御前のために、弘法大師は月明かりの夜に池の水面に映った自らの姿を描き残したものと伝えられている仏画。
「瞬目大師」の由来は、鎌倉時代、土御門天皇拝覧の折に、仏画の空海の目が瞬きしたことから、生身の大師であるとして「瞬目大師(めひきだいし)」と呼ばれた。
目元の優しさたるや。
自分の中の何か共鳴したのか、込み上げてくるものがあった。
宝物館の吉祥天の太ももの張りが素敵!と思っていたのに、瞬目大師さんに心動かされた。
金刀比羅宮 表書院・裏書院 特別公開
象頭山の中腹に鎮座する金刀比羅宮は、古くから「海の神様」として親しまれている大物主神を祀った全国の金刀比羅神社の総本宮。
「一生に一度はこんぴら参り」と言われ、お伊勢参りと並び、江戸時代には全国各地から多くの人々が参拝した。
飼い主の代わりに代参する犬「こんぴら狗(いぬ)」が、飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などを入れた袋を首から下げて、旅人から旅人へ連れられ、街道筋の人々に世話されながら、立派に務めを果たしたという。
そんな金刀比羅宮の御本宮へ向かう途中にある表書院・奥書院は、別当金光院が諸儀式や参拝に訪れた人々との応接の場として用いた客殿である。
万治元年〜3年(1658~60)に建てられたとされる国の重要文化財に指定されている表書院・奥書院には、円山応挙数多くの障壁画が残されている。
表書院にある円山応挙の虎たちは、以前展覧会で観覧したことがあるものの、やはり作品そのものだけでなく、本来の場に収まると空間として見れていい。
表書院から奥書院へと向かうと、階段を登り、まさに「奥」へと入っていく。
金刀比羅宮奥書院 上段の間 伊藤若冲「百花図」
襖を閉めきると、見渡す限りの花々が広がり、草花の香りがしそうな空間。
均等に花が咲き乱れる襖は、花の曼荼羅のように見えた。
岸岱の「群蝶の図」や「柳に白鷺の図」は、奥書院の庭園から中へ入ってきて、蝶たちは百花に誘われてしまったようにもみえる流れがまた良い!
観覧時間ギリギリまで何度も、見て、空間を楽しんだ。
屋島寺
源平合戦でお馴染みの「屋島の戦い」の屋島。
鑑真和上によって開創されたと伝えられ、その弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立して「屋島寺」と称し初代住職となった。
本尊の十一面千手観音菩薩は宝物館に。
厚い唇の微笑みに、慈しみ深き目元に、滑らかな髪。
ゆるりと動くような脇手も、光背も制作当初とのこと。
屋島というと源平のイメージが強いが、山岳仏教の霊場におわす姿を想像する。
屋嶋城 城門
白村江の戦いでの大敗を機として、唐・新羅の侵攻に備えて対馬から太宰府周辺・瀬戸内海沿岸に作られた古代山城のひとつ。
屋島は畿内に抜ける海上ルートにおける要所だった。
修復された城門から高松市内を一望できる。
ちなみに淡い茶色の石が石積みに利用されていたもので、灰色の石が新たに加工して補ったもの。
地形に沿って築かれた城壁はうねうねとしていて、面白い。
普段目にする石垣とは異なり、古代、異国を感じる。
城門を下から見上げると、空を覆うように高く積み上げられた石積み。
その景色がタイムスリップしたような気持ちになり、しばし眺めた。
テーマが何もない一日もいい。
それぞれバラバラだから、個々の面白さを存分に楽しめる。
滋賀に移り住んでから浮世絵や江戸絵画などは見る機会が減っていたので、自分が作品を見る視点が変わっていることに、また楽しむ。
四国旅の2日目は瀬戸内海を眺めて終えた。
遠くに見える島々は、リアス式海岸のように連なり、外海と違った景色だった。
日差しが強く、海が真っ白に輝くさまは、天界、神話の世界のように見え、ひとつひとつの島がとても神聖なものにみえた。