四国秘仏旅-高知県編-
最近の旅は、およそ秘仏のご開帳から始まることが多い。
「あそこの方がご開帳されるから、周辺のホトケさんにご挨拶しよう」
今回は2013年のご開帳を逃した高知県竹林寺の文殊さんにお会いするのが目的。
そして弘法大師空海ご生誕1250年ということで香川県内の寺社で開帳や展覧会なども行われるということで、高知、香川2県へ。
高知県、土佐国といえば、雪蹊寺、竹林寺に、四万十の美しい川、山際に立つ民家に、カツオ、柑橘と、枚挙いとまがない。
こんなに楽しみな土地なのにスケジュールの関係で、断腸の思いで、ホトケさん巡りに集中した。
<高知県編>
大日寺→雪蹊寺→竹林寺
大日寺
行基菩薩がご本尊の大日如来像を彫造し、安置して開創されたと伝えられ、時代は下り、弘仁6年弘法大師によって中興される。
明治時代の廃仏毀釈により一時廃寺となるも再興され現在に至る。
今回は、弘法大師ご誕生1250年記念で、本尊大日如来像が特別開帳された。
大日如来像は、国の重要文化財に指定されており、平安時代後期の作、高さ約146㎝の寄木造りで、四国最大級。
太い眉が鼻根へ鋭く伸び、眼力があるお顔立ちに、肩には張りがあり、胸元のムチムチ具合がたまらないお方。
一方、脇仏の聖観音像は智証大師作と伝えられ、平安時代後期の作、高さ約171㎝で、国の重要文化財に指定されている。
どちらも本堂奥の収蔵庫にいらっしゃり、普段は非公開の方々。
近年は特別公開や展覧会などで秘仏もお会いできる機会が多く、ありがたいもの。
雪蹊寺
弘法大師によって弘仁6年に開創された頃は真言宗で「高福寺」と称した。
その後、寺名を「慶運寺」と改めているが、廃寺となっていた寺を再興したのは戦国時代の長宗我部元親。
元親の死後、四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改めたという。
国指定重要文化財に指定されている仏像はこちらの収蔵庫にいらっしゃるため事前予約。
運慶晩年作と伝わる薬師三尊像。
日光・月光菩薩像のゆるりとした立ち姿がいい。
やはり菩薩というのは涙を誘うような、向き合う人を包み込む雰囲気がある。
無垢な微笑みの日光と、どこか切なげな表情の月光から注がれる視線を受け止め、悩める衆生としての心の内をそっと、お伝えした。
湛慶作の毘沙門天像は、何があっても揺るがない強い意志ある瞳。
丹田に力を入れ、ドンっと勇み立つ背中が格好いい。
きっと嵐に吹かれても、強い雨に打たれても、このお方は微動たりともしないだろう。
同じく湛慶作の善膩師童子像は、言わずもがなキュート。
毘沙門天、吉祥天の末っ子である善膩師童子だが、見つめてくる瞳は聡い。
全てを見透かされているのだろうと思った。
竹林寺
聖武天皇の勅願により行基菩薩が自ら文殊菩薩像を造り、開創された。
江戸時代には、土佐藩主・山内氏の帰依を代々受け、藩主祈願寺として寺運は隆盛したという。
開山・行基作と伝えられる本尊・文殊菩薩は「日本三文殊」のひとつ。
50年に一度のご開帳と定められている秘仏だが、今年は開創1300年の記念年に当たり特別ご開帳された。
2013年の開帳を逃したもののご縁あって拝むことができ感無量。
秘仏本尊の文珠菩薩は、国の重要文化財に指定されており、平安時代後期の作、像高60cmほど。
順番に数分間だけ尊顔を拝するという形式でしたが、印象は穏やかで、ほっそり。
須弥壇の下から仰ぎ見ると、お顔もほんのり白い小顔でした。
厨子から離れて、外陣からゆっくり拝みますと、胸から下のみ姿がみえ、なんとも貴人と謁見しているような気持ちに。
文珠さんのお獅子が愛嬌たっぷり。
あまりにも可愛らしいのでパネルをパシャリ。
実家に帰ると犬がこんな感じの表情でお出迎えしてくれるよなと。
高知駅からレンタカーで駆け足で巡ったものの、計画通りのギリギリで終えた一日。
運転していると、あちこちで文旦を販売していて「買いたい!食べたい!」と思いながら、荷物や時間の関係で立ち寄れず、残念。
しかし、高知にお住まいの方に教えていただいた「とさのさと AGRI COLLETTO」に立ち寄り、お目当ての文旦のジャムと宗田鰹ぶしをお土産に購入。
今回は秘仏を中心に半日コースの旅であったため、四万十や室戸岬にも行けず、カツオの藁焼きもできず。
リピートを誓い、距離感や美味しいものなど、現地じゃないとわからない情報を収集し、出勤の皆様とご一緒に特急列車に乗り込み讃岐国へ目指した。