近江ARS 第6回還生の会を終えて
近江ARS主催「末木文美士に聞く還生の会」の第6回が行われました。
▼詳細はこちら
https://arscombinatoria.jp/omi/news/38
▼近江ARS公式HPより、第6回「還生の会」のダイジェスト
https://arscombinatoria.jp/omi/news/41
これまでの還生の会は、三井寺で行われており、今回ははじめて長浜での開催となりました。
還生の会は、仏教学者・末木文美士氏の導きで日本仏教をもう一度見直し、松岡正剛氏、福家俊彦氏の語り、そして三者の交わしによって聴講者もともに、日本仏教を、そして日本を考える場です。
湖北の観音文化は、日本仏教の宗派宗義とは一線を画すものの、根底でつながるものがあり、また長浜での開催ということで、何かしら伝える必要があると思いました。
しかし、普段の講演で話すような場ではない以上、どのようにして参加者の皆さんにお伝えすればいいのかと悩みました。
まず、観音さんを会場の大通寺にお連れすることはできない。
何か湖北の観音文化を感じていただけるもの、ことはないか。
そう考え始めた頃に思い浮かんだのが、赤後寺の「おぶくさん」でした。
おぶくさんは、湖北のなまりですが、「お仏供(ぶつく)」さんのことです。
元々、湖北では村の仏さんにお供えものをすることが日常でした。
近年は減ってしまい、続いているところでも月に一度の縁日に、世話方がするものでした。
しかし、赤後寺がある唐川では、毎日交代でお供えものをしています。
唐川を11組に分けて、一組が1ヶ月担当し、組内の家々で交代で毎日お供えをします。
湖北の観音文化、そして本来の神仏と人々の営みの文化は、おぶくさんのようなつなぐものたちによって続いてきたのではないか。
何気ないことで、特に大きな心持ちをもっていないけれど、感覚的に「なくてはならない」と思い、疑問に思うことなく続いてきました。
煌びやかでも、特別なものでもないけれど、大切なものである「おぶくさん」をぜひご紹介させていただきたいと思い、赤後寺の世話方さんにご相談をし、ご快諾いただきました。
また、このお願いをした際に、もう一つ相談をしておりました。
赤後寺のご本尊の観音さんのお足元にいらっしゃる「身代わり観音」さんです。
もし可能であれば、この方々のこともご紹介したいと思っていました。
赤後寺の身代わり観音さんは、昔、病にかかった人や出産をひかえた人が観音堂へいき、身代わり観音さんをお借りして自宅で祀って祈願しました。
そして、病が治ったり、出産を無事終えたら、観音堂へお返しするという風習がありました。
以前、世話方をされていた方からは、出産の際に手に握りしめて、出産に立ち会っていただいたとも聞いております。
赤後寺の観音さんは元々秘仏でしたので、そのかわりに身代わり観音さんが村人たちに触れ合っていたのでしょう。
風習自体はいつまで行われていたものか定かではありませんが、恐らく江戸時代から昭和のはじめ頃まで行われていたのではないかと考えられます。
身代わり観音さんは村人たちに寄り添い続けてきた方々ですが、普段はその姿が見えにくいところにいらっしゃることもあって、世話方さんたちでもその姿をはっきりみたのは初めてとのことでした。
唐川の方々の間でさえそうですので、同じ高月町、旧伊香郡、長浜市に暮らすほとんどの人は知りません。
しかし湖北の観音文化を語る上で、本尊ではないものの、なくてはならない存在であると思います。
こうして大通寺における「しつらい」では、私から何かお出しすることは難しいと思っておりましたが、ありがたいことに唐川の方々のご協力によって目にふれていただくもの、方々にお出ましいただきました。
私には、もう一つお役目をいただいておりました。
それは、湖北の祈りの文化をテーマに語ることです。
湖北の観音文化を、湖北の観音を、どう語るのかということは、自分の課題です。
それは従来語ってきたことではなく、「近江ARS」ですので時には大胆な仮説を立てながら、語っていくことが必要です。
還生の会では、おぶくさんがつないできたもの、身代わり観音が果たしてきた役割、そして村人たちからみる村の観音さんについてを話しながらも、「どう語っていくべきか」の考えるべき点や、自分自身が疑問に感じていること、葛藤を交えて投げかけました。
普段とは異なり、自分の感情をむき出しに話したので、もしかしたらご聴講の皆さまには「らしくない」ように見えたかもしれませんが、私自身は意外にもスッキリしています。
あの還生の会という場であったから、不安、悔しさが溢れてきて、自分でも制御ができないところまできたのだろうと思います。
そして、そこで改めて思いましたのは、忘れられつつある祈り、語られてこなった祈り、それらはどうしていくのかということ。
忘れられた祈り、語られてこなった祈りは、「必要ないから存在しない」と思うのでしょうか。
その信仰を復興させようとは思いませんが、その信仰をした人々のことを考え、思うことはやめたくありません。
思うことをやめたら「そんな祈りの文化はそもそも存在したのか?」という時代が訪れるかもしれません。
身代わり観音さんも、今伝えて語らなければなかったことになりかねないということです。
それは自分がはじめから存在しないように扱われるようなものです。
声なき声にも耳を澄ませて、この土地の信仰文化を語ることを通して、日本のあちこちで忘れられつつある文化に目を向けるきっかけをつくれたらと、改めて思いました。