観光化を選ばない地域行事

「観光の受け入れをすると、行事に集中すべきなのに、どうしても疎かになる。お構いできませんが、どうぞ見ていってくださいという形式にしても、観光客対応をしないわけにはいかず、結局、人手を割かねばならなくなる。そこまでするほど観光としてきてほしいと思わないし、そもそも人がいない。」

先日伺った神社で、出た話題です。

よく聞く話ではあるものの、様々な地域の行事を見学したり、話し合ったりしてきたからこそ分かる、難しさ。

 

従来型観光を受け入れると、神事や直会でカメラをパシャパシャ。

祝詞をあげるときに、フラッシュをたく。

これでは、行事をする方も集中できるはずがない。

 

地域で営みを続けてくださったから、私たちはその行事をみることができ、現代でありながら中世の趣を感じられたりするのです。

私自身は、行事の見学も、調査も、自分を「お客様」だとは思ったことはなく、むしろ「お邪魔者」として、目の前で行われている行事の妨げにならぬようにしています。

 

人口減少により、担い手不足となり、何かしら外部の力が必要になってきていることは、地元でも理解できている。

ただ、行事そのものが、氏子の中でも代々決まった家のみが特別な役目を執り行うものについては、外の力を受け入れるわけにはいかない。

行事そのものの目的や意味合いが氏子に向けたものであるなら、確かに氏子ではない者が執り行うのは、疑問ですね。

このように「行事」「まつり」と一言で言っても、その目的は様々で「人手がないから入れる」では解決できないところがあり、よくよく考えなくてはいけない。

それは地元の人間もそうだし、コンサルやアドバイザーのような役目や仕事をして、その地域に入る人は心掛けなくてはならないでしょう。