伝教大師最澄ゆかりの「高尾寺の逆杉」を拝む

気がつけば桜が散り、初夏の日差しが差し込む頃、山々は若芽色から緑へと濃さが増してきた。

毎年4月29日に地元、長浜市木之本町石道地区の神前神社の氏子が高尾寺跡にそびえ立つ逆杉に御幣を捧げ、参拝される。

今年こそご同行を、と思っていたが、あいにくの雨天で中止に。

石道寺の観音さんのことで、いつもお世話になっている石道地区の方にご案内をお願いし、逆杉を拝んできました。

 

シャガが一面に咲き誇るところから高尾寺跡へ登っていくが、1時間ほど急な山道であり、年数回のみ使う登山靴が役に立ったが、それでもストックがないとかなり負担がかかる道。

登りきると坊跡が四段ほどあり、己高山へ向かう登山道の方に逆杉が、異様な存在感を放っていた。

 

伝承によると神亀元年(724)に行基菩薩がこの地を訪れ、十一面観音像を彫刻し、一宇を建立して「紅葉山高尾寺」と号したことにはじまる。

しかしその後、高尾寺は焼失してしまう。

その後、延暦年間に伝教大師最澄が行基の聖蹟をたどり、この地を訪れ、近くの祠(神前神社)の前で、近くの杉の枝を折り玉串をつくり地面にさし念じたところ、「汝、速やかに再興せよ」とのお告げがあり、ただちに最澄は十一面観音像を刻み、堂宇をたてた。

この時の杉の枝は成長していき、木の根のような枝ぶりから「逆さの杉」と呼ばれている。

 

その後高尾寺は、明応9年(1500)に神仏ともども、現在の神前神社境内に堂宇を移し、己高山高尾寺と呼んできた。

しかし神仏分離令にともない、安置されていた諸仏は石道寺観音堂へと移られる。

減災の石道寺堂内にある厨子に、高尾寺の本尊と伝わる十一面観音(本尊向右)が安置されている。

 

樹齢1000年を超える逆杉は、幹周囲7.8m。

その大きさと、力強い生命力を感じる枝ぶりに圧倒される。

「まるで生き物のようだ」と思ったものの、この木は確かに生きているからこの表現は可笑しい。

生き物といったとき、私たちは動くものと思いがちです。

自分のことを人間と捉えて、生き物の一部であることすら忘れているように思えます。

そして、私たちは山や木々を景色として捉えているから動かないものに見えているのかもしれない。

 

何より「有無を言わせぬ」逆杉の姿に圧倒された。

参拝者を温かく見守ったのだろうという気持ちを抱く反面、寒気もした。

自然崇拝とは離れたところで生活している現代人である私でも、この巨木に畏怖を感じた。

私たちは山に神仏を感じると言われても、なかなか実感がわかない。

かつて山は、恵みをもたらすものであると同時に、怒り荒ぶる存在であった。

恐らくは自然と離れた社会で生きてきてしまったから、恵みも畏れにも鈍感になってしまっているのでしょう。

この二面性を逆杉は、自由に枝を伸ばし、包容力ある堂々とした姿とともに、有無を言わせぬ圧倒的なものを感じさせて、私たちに示しているようにも思えました。

 

私たちのルーツにあたるかつての人々と直接会話することはできないものの、自然をどのように捉えたのか、樹木に、山に何を感じ、どのように付き合ったのか、今も生ける逆杉に少しだけ教えていただいたように思えました。