2021年元旦記事掲載されました
自宅にてババーーーーーンと、掲載された紙面を広げてみました。
広げてみると、自分が書いたわけではないのに、なんとも言えない達成感があります。
色々あった2020年は、あっという間に終わっていて、コロナ禍が明けることはなく2021年を迎えました。
生まれたときから不景気で育ってきた私ですが、こんなにも心落ち着かずに年越しをするとは。
それでも、時間は変わらず経つもの。
前を向いて、自分にできることをしていくほかないのだと思います。
コロナ社会で生きる、変わらないもの
京都新聞さんでは、『星と祭』復刊PJTでもお世話になっていた記者さんを通じて「ぜひ、新春社長対談いかがでしょうか」と嬉しいお声かけをいただきました。
テーマが「ウィズコロナ」ということでしたので、私で良いのだろうかと思いつつ、文化財・地域文化の現場に赴く立場としてお受けしました。
主にコロナ以前と以後の変化についてお話ししました。
私自身が困ったことは、人に会えないことでした。
私は日頃から年配の方とお会いすることが多く、村で行事があれば足を運び、コミュニケーションをとってきました。
しかし地域の行事が中止になり、村のソトの人間が「大きな用もなく」行くことが、難しくなってしまったのです。
LINEもメールもできない方が多いため「会うきっかけ」を完全に失ってしまったのです。
しかも、日頃、拝観者対応を定期的にされている方やお外で働いている方が、突然ステイホームを強いられた。
いつも生活リズムではなく、気がつかないところでストレスがたまっていく。
そう、私が心配していたのは、守り手さんの体力・モチベーションの低下です。
あと10年は昔のことをおしゃべりしてくださる方が、一気に元気がなくなっていく。
これは恐ろしいことです。
文化の継承は理屈ではなくて、気持ちが大事です。
守ろうとする行動、気持ちが共に低下していくことは最も恐れていたことでした。
コロナが流行している中、お伺いしてもいいものかと悩みながらもお電話すると、前からお世話になっている方々は
「えぇで、待っとるで」
といつもと変わらぬ声で応じて、マスクとアルコール消毒以外、変わらず迎えてくださいました。
変わらない人はどんなこともあっても変わらない。
続くものは続くのだと思いました。
残念ながら、文化は生きていくために「不要不急」に当たってしまいます。
まつりをしている時間があれば、食費を稼ぐために働くてはいけない。
まつりをすれば、密になってしまうから、いくら無病息災のまつりでも感染リスクがあるから行わない。
人に合わないように、お堂へのお参りする数を減らそう。
人が集まってしまうといけないから、ご開帳も今年はやめにしよう。
この行動が悔しくもそれを証明しています。
コロナによって地域文化は下り坂どころか、突然終止符を打たれてしまう。
そんな危機感と悔しさがありました。
そして実際にその危機は訪れています。
このような時だからこそ、本当に「このまつり・行事の終わりを迎えてもいいのか」と思う人もたくさんいます。
今年中止にして、来年も中止にして、再来年は…どうやって進行していたのだろう?やる意味は何だろう?
悔しくもコロナは私たちに「まつり・行事をすること」「仏像を守ること」「拝観者を受け入れること」などの意味、面倒くささ、楽しみ、意義を考える機会を与えました。
なんとなく頭の隅に思っていたことを、半強制的に、急ぎ考えなくてはならなくなりました。
まつりも、仏像も継承されていくのか、岐路に立たされています。
必要とされるものは続き、必要とされないものはなくなる。
どちらに転ぶかは、ほかでもないそこに暮らす人々に委ねられています。
▼京都新聞 2021年1月1日掲載
京都新聞社・山内社長対談
●ヤバイTシャツ屋さん・こやまたくや氏
●一般社団法人ぷちでガチ 代表理事 赤坂美保氏
●観音ガール 對馬佳菜子
思いを受けとめ、伝えていく
朝日新聞の記事は、Yahoo!ニュースにもなりました!
記事になったのは、2020年12月に行われた滋賀県長浜市余呉町菅並・東林寺の煤払い。
この日は老人会会長の呼びかけに約20人の住民が集まりました。※ちなみに菅並に暮らす村人は約40人
目が回るんじゃないかと思うくらい、地元の皆さんがテキパキとお掃除をしていかれる。
「おーーーい、暗いで、これ、どうするんや?こっち手伝ってや」
お堂の奥、秘仏御本尊さんの扉を開けて、観音さんの横へ潜り込むおじさま。
呼ばれるまま「こういうことってだいたい女人禁制のことが多いけど、良いのだろうか」と思いつつ、許可を一応取り、ご一緒に厨子の中へ。
観音さんのお身ぬぐいをするのは、代々老人会会長と決まっており、女性が、それも「よそ」の人が入ることはなかったと、後に聞きました。
「おもろかったか?」
煤払いを終わらせて、お堂の外で暖をとっているときにふいに聞かれました。
「楽しかったですよ。11月の特別公開といい、菅並の方とも、ホトケさん(仏像)とも同じ時間を過ごせて。働き者の奥さんたち、電球交換していたのに新しい電球をつけるのを忘れた方がいたり、ホトケさんたちと皆さんが同じ時間を過ごしていることが素敵だと思います」。
「そーか、ようわからんけどな、あんたがえぇって言うんなら、なんかえぇんやろな」。
「皆、歳もとった。これまでのことを知っとる人が一人でもいてほしいんやわ」。
「動けるうちに色々とやるで」「ええ〜わしもかいな」とタバコをふかすおじさまたちとの談笑は楽しい。
「よう、わからんわ」と言う時のお顔は、どの方も良いお顔をしています。
理屈で言うと、煤払いは「寒い中朝早くから動いて面倒くさい」でしょうが、なぜか清々しいお顔をされています。
そこで生まれ育った者にとって、この「当たり前のこと」は地元の人にしかわからない、言葉にできない思いがそこにあるのだと思います。
私はソトの人間だから、その思いを本当の意味で理解することはできないです。
行動を観察して、話すことば、まとう雰囲気から想像することしかできないです。
ましてや村の未来を決めることもできない。
自分にできることは些細なことで、村が抱えている悩みの直接的解決をすることは難しいでしょう。
ただ同じ方向を向いて、寄り添うことはできる。
ひょっこり顔を出し、お話を聞かせていただく。
自分が生きている限り、自分が出会った人々の思いを受けとめ、仏像(ホトケ)ととも暮らす人々の営みのことを、伝える人でありたいと思います。
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朝日新聞 2021年1月1日掲載