仏像への思いはここにあり!

「仏像が好き!それも村のお堂に祀られているような地域の仏像が!」

仏像が好きだからこそ、これからも仏像と向き合っていたい。

だから地域の仏像をこれからも、拝めるような世の中であってほしい。

今回、そんな思いを抱く私のこれまでのお話をさせていただきます。

仏像が好き!からはじまる

私が仏像を好きになったのは15歳のときの奈良旅行がきっかけでした。

東大寺法華堂の不空羂索観音と出会い、仏像の虜になったのです。

単純に「美しい」「1300年間、見守ってきた」ことに胸が熱くなりました。

その時から仏像の美しさだけでなく、仏像が歩んできた時代を、世界を知りたいと強く思いました。

将来は博物館学芸員になって、仏像を守り伝える仕事をしたいと素直に思いました。

 

お恥ずかしいことに学生時代の私は、時間があれば博物館へ行き、仏像を見て「さすが重文!」とか「この感じは平安時代後期だよな」などと、まるで正解を探すかのように、仏像を見ていたのです。

そして宗教的なことに触れることがない生活環境で生きてきた私にとって、仏像は「歴史を伝える文化財」「モノ」としか見ていなかったのです。

 

そんなことをしているうちに、東大寺法華堂で出会ったあの感動は何処かへいってしまい、仏像に対して理性で、ある種の冷めた気持ちで見ていたのです。

「何が良くて仏像を見て巡ってきたのだろう?」

いつしかたくさん見ることに気持ちが走り、そんな疑問さえが浮かんできてしまったのです。

地域のホトケと守る人に出会う

私の中で大きな変化があったのは、寺という名をもちながらも、地元の方が管理する仏像との出会いです。

そこで出会ったのは村を守る「ホトケ」としての仏像でした。

そしてそこには、文化財指定の有無や制作年代が古い、新しいは関係なく、「ウチのホトケさん」として大切にされている方々がいました。

「仏像を守る」というより、その村の守り仏を大事にしてきた人々の思いを守っているといった方が近いかもしれません。

文化財を守っているという意識よりも、村の神仏を、村の習俗を、村の精神を守っているのでしょう。

 

「そうだ、仏像は人々に拝まれてきたから、良いお顔をされるんだ」

 

自分が根本的なところを見失っていたことに気づかされました。

仏像がもつ美しさに、人がホトケへ向けた思いと歴史が加えられて、仏像は色んな表情をみせるのかもしれない。

そう思ったのです。

地域の仏像を取り巻く課題は仏像にとどまらない

しかし、実は守り手になって初めて自分の村の守り仏を見たという人も少なくありません。

「寄合の時に村の役員さんたちが足を運んでいたな」

「おじいさんに困ったことがあったら、観音さんとこへお行きと言っていたな」

というようなお話をよく耳にします。

守り手と交流する中で知ったことは、村の守り仏に対する村人同士の気持ちの違いです。

「大切にしたい」と言う気持ちが強い方もいれば、「当番に当たったから」と義務感から関わっている方もいらっしゃいます。

しかし現在、地域で守られている仏像の維持管理は厳しい状況です。

村によっては80歳以上の方々だけで仏像を守っていて、過疎化により後継世代がいないところもあります。

急務ではない地域でも、何もしなければ高齢化が進んだ地域と同じように直面するでしょう。

 

このように仏像の維持管理の課題と背景には、地域の高齢化、過疎化、そして価値観の変化があります。

仏像をどのように守っていくかを考えるとき、必然と地域内の仕組みも考えることになるので、地域づくりも考えてことが求められます。

専門家でも宗教家でもない私にできること

私は専門家でも、宗教家でもありません。

だからこそ、美術や宗教という枠に囚われることなく、地域の仏像の魅力を様々な場面で、様々な人に話すことができます。

そこで少しでも刺激された人が地域の仏像に関心をもってくださったら嬉しいです。

 

これまで人々が大切にしてきた、思いのつまった仏像をこれからも、その「なごり」を感じられる場所で会いたい。

そのために地域の仏像を守る方々をできる限りサポートしたいと思います。

最後に・・・

このサイトをご覧になった方が、「地域の仏像の魅力」を知り、「拝観するだけでなく、守ること」について考える「外に暮らす村人」的存在になってくださったらと思います。