近江で日本を探し発信 -近江ARSに参加して-

近江ARS (Another Real Style)

近江ARSとは、近江の歴史・経済・文化の価値の創出をめざすプロジェクト。

近江から日本の風土や歴史文化にひそむ様々な可能性を探り、「新たな日本の様式づくり」を追求します。

ARSには、Another Real Styleという意味とともに、何かを組み合わせて新しい世界をつくる方法「アルスコンビナトリア」を込めています。

どのようなプロジェクトか、ぜひ一度公式HPをご覧ください。

近江ARS公式HP → https://arscombinatoria.jp/omi

 

受け止め、返していく

2022年4月、松岡正剛氏にお越しいただき、湖北に息づくものを考え続けた。      photo by iaraokomotiara

参加当初は松岡正剛氏の『日本文化の革新』を読み、そこで考えたこと、感じたこと、近江にある本来の日本を探るなど、参加者同士で意見交換するというものでした。

その場は私が身を寄せるには敷居が高く、正直にいうと「なぜ私が」「恐れ多すぎる」「こんなことを言ってもいいだろうか」と思いました。

ただ「恐れ多い」で身をひいてしまうのは、お声かけしてくださった方々に申し訳ない。

この場に身を置き、しっかり受け止め、それを様々な場で大いに発揮していくことが礼儀であり、かたい頭をフル回転させ、毎回オーバーフロー状態になりながらも、楽しく参加しています。

2022年4月、近江ARSでは「長浜旅考(りょこう)」と称し、松岡正剛氏に湖北・長浜へお越しいただき、湖北から日本を考えました。

そこで非常に濃い体験をしました。

今しかできない体験を今、言葉にしていくことが大事だと思いましたので、近江ARSに参加している私なりに、参加するなかで感じてきたことについて、したためたいと思います。

 

「本来の日本」を探る

松岡正剛氏をはじめ近江ARSの皆さんと湖北のあちこちへ行き可能性を探る「旅考」      photo by iaraokomotiara

近江ARSで行われているサロンに仮入部のような立ち位置で参加し始めた頃、『日本文化の革新』を読み進めながら、「本来の日本とは」という深いところを追求するものでした。

私には、それだけでなく一つのテーマについて、バックグランドの異なる方々と話し合うことで、様々な観点、表現の仕方(どのような言葉を使うか)を学ぶ場でもありました。

一つの文化に対して、自然、人、歴史、政治、経済など様々な観点からメンバーが思考を廻らせ、組み立てていくので、人によって目を向けるものも、感じ方も、それを表現する方法も様々で非常に面白いものです。

 

近いのに遠い本来の「日本」

2015年、沖島の港を夜通し眺め迎えた朝日。

それにしても「本来の日本」とは、ものすごく大きなことのようで、「何を言っているのやら」「そういうことは自分とは無縁である」と思えるのではないでしょうか。

実際に大きなことであり、未踏の世界であり、一般とは離れたものだと思います。

ただ少し考えてみると、私は日本人の両親の間に生まれ、日本で暮らしてきました。

「日本」というものは、いつも側にあったはずなのに、私たちはそれを遠いものと思い、自ら遠ざけている。

そう考えてみると、なぜ「日本」「日本文化」と言うと、急に崇高なものに思い、そして遠ざけてしまうのか。不思議です。

誰もが考えることができることなのに、自分から考えることや感じ取ることに蓋をしているのです。

私は目の前に広がる近江という土地にあるもの、近江に暮らす、訪れる人から自分が感じ取る「本来の日本」かもしれないものを探し、心にストックしています。

サロンでは、そのときの感じたことや出来事を話し、交感しあうことで、「自分なりの日本とは」を確かめています。

 

私と日本と近江

東京住まいの頃は、年に1度、黒田観音さんと対話をした。

実は「日本とは」ということは大学生のときに、自分の学生生活で一つのテーマとして考えていました。

きっかけは、作家の司馬遼太郎さんの言葉です。

しばしば「日本人とはどこからきたのか」「日本人とは何か」「どのような歴史をたどってきたのか」について指摘されていて、そういえば日本史は好きだけれども、日本とはなにかを考えたことがなかったと気がつきました。

「歴史を知る」で止まってしまった思考を動かすきっかけをいただいたとも言えます。

私は仏像が好きでしたので、大学時代、あちこちへ足を運ぶたびに「この空気感は大切だと思う」「この景色は日本らしいな」と感じるものに対して、「なぜ日本らしいと思うの?」を問い続けていました。

その時は、特にこれといった答えを導き出していませんでしたが、「なんとなく」思うことをノートに書き出したりしていました。

そんな時代に近江を訪れ、田んぼの中にあるバス停で1時間景色を眺めながら待ち続けたときに、なんとなくですが、「知らない土地なのに帰ってきた、懐かしいと思う」そんな気持ちにさせられました。

ノスタルジーという言葉では足りない何かが近江にあるのではないかと、大袈裟に思いを巡らせノートに書き留めたものです。

この時の自分がなんなく日本社会に対して抱いた疑問は、会社勤めをはじめると同時に蓋をしてしまいました。

それがいま、近江ARSに関わる中で再び蓋を開け、真正面からメンバーの皆さんと話し合えていることに、とてもワクワクしているのです。

 

「近江から」考え、「日本」を

なぜ故郷ではないのに、懐かしいと思うのかを考えていた。

私が幼い頃、大正生まれの祖母が話してくれた昔話の世界。

それは私が目でみたものではないので、昔話をもとに想像したモノクロの景色でした。

しかしそれは、近江へ湖北へ足を運び、そして暮らすうちに、カラーに色づいていきました。

土地は違えども、きっとこういう景色を祖母はみてきたのだと思います。

 

かつてどこにでもあった景色、環境がなくなると、日本人が感覚的に理解できたことが、わからなくなってしまう。

特に目にみえないもの、私が今一番関心を寄せている地域の信仰などは、こころの問題ですから、なかなか理解できない。

その場に、環境に身を置くことで、感じて、観じて、はじめて何かに祈るこころが「なんとなく」わかる。

 

余談ですが、この「なんとなく」の感覚が大事なように思います。

知らない文化であるはずなのに、感覚的にわかる気がする。

自分の中にある他者、「日本人」が共鳴したのかと思ったりしています。

 

それはさておき、日本各地で合理化が進むにつれて、置きざりにしてしまった物事や忘れてしまったことが、近江にはまだ息づいているようにと思います。

だから私も近江で本来の日本を探し、考え、それを言語化して、発信したいと思い立ち、このようにしたためました。