熊野詣へ
夏の終わりに熊野那智大社、青岸渡寺、飛瀧神社(那智の大滝)、熊野速玉大社、補陀洛山寺を参拝した。
私は霊地といわれるようなところに惹かれる。
その昔、そこに救いを求めた人々のあこがれの地であったそこは1300年以上変わらず聖地であり続けるゆえんを頭ではなく全身で知りたかった。
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那智山へ
那智駅からバスで商店街を抜け、田畑でのどかな景色が広がったかと思えば、一気に山道になった。
ヘアピンカーブをいくつも越えて、上へ上へとのぼっていく。
車内が揺れるたびにその険しさに「いま、自分は人里離れて熊野の奥地へと進んでいる」と気持ちが高揚する。
目的のバス停に着き、そこから長い階段を上って熊野那智大社と青岸渡寺を目指す。
残暑厳しく、地方暮らしの運動不足には堪えるもので、熊野那智大社まで上り切って振り返ると空よりも濃い青が見えた。
熊野灘だ。
那智参詣曼荼羅を思い出した。
参詣曼荼羅は関係する寺社とその名所が描かれているが道中は省かれている。
そのため那智の大滝は山深いところにあるだろうと思い、海が見えるなんて思いもしなかった。
空とは異なる青い海に、その昔、観音菩薩の浄土を期待する気持ちに納得した。
神仏が宿る那智の大滝
熊野那智大社と青岸渡寺は隣り合わせにあり、神仏習合時代の名残がいまも見られる。
青岸渡寺は印度より裸形上人が熊野浦に漂着し、那智大滝で修行したとき那智の大滝で如意輪観音を感得し、草庵を造り観音像を祀ったのがはじまりとされる。
一方、熊野那智大社は主祭神として熊野夫須美大神を祀るが、熊野那智大社別宮の飛瀧神社は、那智の大滝そのものを大己貴神が現れた御神体として祀っている。
つまり那智の大滝は神仏が宿るところなのだ。
実際に足を運んでみるとそれも納得であった。
那智の滝から流れ落ちる水流のひとつひとつが龍のようで、またそれらの集合体もひとつの大きな龍のようにもみえた。
滝となって流れ落ち、川となって人里へ、そして大海へと流れゆく姿はまさに観自在に変化する観音菩薩。
那智の大滝から流れゆく那智川が行き着く先の大海に面して補陀洛山寺がある。
あの補陀落渡海で知られる補陀洛山寺だ。
補陀洛山寺で秘仏本尊を拝む
補陀落渡海とは、観音菩薩がいる浄土すなわち補陀洛山を目指して大海へ出て、往生するという宗教儀礼だ。
渡海船に30日分の食料と油を積み、乗る人は外に出られないように渡海船の戸を釘打ちされ、渡海したという。
この補陀洛渡海は井上靖の短編小説『補陀落渡海記』でも登場する。
ぜひ、足を運ぶ前にご一読いただきたい。
お寺のチラシの案内文によると、この補陀洛渡海は貞観十年(868)の慶龍上人にはじまり、平安時代に3回、室町時代に10回、江戸時代に6回が記録されているが、記録もれもあると思うので実数はこれよりも多い、とある。
お寺の方とお話をしていると、昔は寺の隣にある熊野三所神社(浜の宮王子)の鳥居の前まで海が広がっていたという。
渡海の当日、渡海僧たちは秘仏本尊の前で秘密の修法を受けて、隣の熊野三所を参拝し、この鳥居あたりで渡海船に乗り、伴船にひかれて沖の網切島まで行き、そこで網を切って観音浄土をめざし、南海の彼方へ船出して行ったという。
そこには僧侶とともに渡海を願い出た民衆もいたそうだ。
補陀洛山寺の本尊は年に数回開帳される秘仏の千手観音像。
国の重要文化財に指定されており、平安後期の作とされる。
実際に拝んでみると、全体的に木目が印象的で、穏やかな衣文、ふっくらとした頬に、眉が太めだからかエキゾチックな顔立ちにもみえた。
思っていたよりもずっと穏やかで、包容力あるお姿だった。
渡海僧たちは旅立つ前に拝んだ千手観音がどのようにみえたのだろうか。
またそれを見送り続けてきた千手観音は何を思うだろうか。
それを考えながらその姿を、尊顔を見つめ続けた。
熊野川の河口にある熊野速玉大社
熊野速玉大社の境内に入ると最初にイソヒヨドリに会った。
海や川の近くでよく見かける野鳥だ。
新宮駅からバスと徒歩で行くと、自分が今どのあたりを歩いているのか忘れてしまう。
イソヒヨドリのおかげで「そうだ、熊野川のそばにいるんだ」と思い出させてもらった。
現在の熊野速玉大社は新宮社と呼ばれているのに対して、旧宮であり元宮である神倉神社には熊野の神々が降臨したとされるゴトビキ岩がある。
新宮の国道を走っていると車窓からその磐座がみえた。
まさに空から降りてくるような場所にあった。
「熊野三山」という言葉からその一体感を感じていたが、那智山、新宮、本宮(未踏であるが)はそれぞれ異なるものであることを感じた。
那智は大滝と海、新宮は川(いやゴトビキ岩がある権現山からの眺望をみて考えたい)。
本宮が未踏だが、川といってもなにかあるだろう。
一方でそれらの共通点は水だ。
水ではあるが、水そのものというよりも水によって生じる神聖なものへの祈りだ。
本宮へ行けば、もう少し見えてくるだろうか。
大峯奥駈道から向かうつもりでいるが、場合によっては新宮まで川を下って考えることもしたい。